ピケティ「21世紀の資本論」


「人類が手取りの約半分を家賃に使って、半世紀が過ぎていた。
人類は巨大な人工都市では子を産めず、育てられず、そして死んでいった。」
こんなツイートに出会いました。
庶民が「資本」による現代社会の限界をつぶやく中、経済学者たちはマルクス以降、「資本」の集中が生み出している問題に目を耳をふさいでいないでしょうか。フランスの経済学者トマピケティによる「21世紀の資本論」では、資本家と労働者の所得格差について、新古典派経済学にはない所得分配理論が述べられています。この冒頭部分を超訳してみました。

【富の分配議論と政策は、データの乏しいわずかな事実に基づいて展開されていた】
ヨーロッパの貴族が支配していた農地という資本を持つ者は、紀元後から今日まで時代を問わず、5%の税引後利益を得ていました。図表10.9一方、経済全体の成長率は産業革命以前には1%以下にとどまり、格差と社会階層はしっかりと固定されていました。
ところが産業革命による身分格差の崩壊と社会の安定により人口急増、経済成長が徐々に進みます。
この産業革命以降、人口急増で余った人手が工場労働者=都市生活者や、中産階級家庭や商家で働く使用人などとなり、新しい社会階層が生まれました。貴族層から新しい資本家層=起業家に実力が移り、資産がもたらす富への集中が進行しました。19世紀を写す映画やジェーンオースティンやバルザックなどの小説が、この時代の不平等の深い構造を記しています。旧貴族からは成金と言われた産業家と没落貴族の政略結婚、富裕層との出会いの機会が増えて社会構造を理解しはじめた人々が、不幸脱出を夢見る様子…。富の分配は経済学者、社会学者、歴史家、哲学者にとって重すぎる課題であり、専門家たちの共和国によって為されず、現実を知る庶民や小説家が加わる民主主義は好ましくあります。しかしその一方、不平等には主観的で心理的な側面もあり、富の分配については組織的で秩序だった方法で研究されるに値します。結論ありきの政策ではなく、理論に偏ることもなく、落ち着いた分析により得られたデータを民主的な議論の場に提示することで、先入観や誤った概念を崩すことができます。

【経済学史における希少性の原理】
1817年に「経済学および課税の原理」を著したデヴィッドリカードは、「人口と生産の両方が定率で成長する時代には、土地は他の財に対して希少性を増し、地代の上昇が続くようになる。地主たちが国民所得に対するシェアを増加させていき、その他の人々が受け取る所得は減少する」と述べています。
工業生産の成長により、農業以外の所得が高まるにつれ農地の地代が下がったことで、この予測が実現せずに済みましたが、現代の希少価値のある財、例えば首都の不動産価格であったり、石油価格に置き換えれば、これらの価値が上昇し続けるという希少性原理が当てはまります。需要と供給のメカニズムで自然に調整される、つまり高額家賃を払うより田舎に住むことが促進される、田舎で必要な自動車もガソリンが高すぎるので自転車で済ませる、ということを述べるまでもなく、都市の地主やカタールの首長は2050年になっても、いや地上のすべての土地や財産を所有するまで富を増やし続けるでしょう。

【産業労働者の貧困】
リカードの半世紀後までに急速に産業資本主義が発展し、都市部労働者の困窮はジェルミナル、オリバーツイスト、レミゼラブルの中に表現されました。18世紀から19世紀にかけては、経済成長が加速していたにもかかわらず、購買力に対して賃金上昇が起こらなかったことが現在入手できる歴史データが示しています。産業利益が増加し、労働者の所得が停滞する中、政治家たちは8歳以下の子供の工場労働を禁じることしかできなかった。1848年「共産党宣言」を著したマルクスは、資本が不動産ではなく工場や機械などの産業資本について、「無限蓄積の原理」を示しました。産業資本の収益率の不確実性のために、また19世紀最後の賃金上昇により、この予言も実現せずに済みました。不平等は続いたものの、産業革命が遅れて始まったロシアで共産主義革命が起こったものの、ヨーロッパの諸国は社会民主主義の経路を探求していったからです。マルクスは私的資本が完全に廃止された社会がどのように組織されるか、悲劇的な全体主義の実験によって示された複雑な問題などには、疑問を呈していなかったのです。

【累進所得税 イギリス1909年、アメリカ1913年、フランス1914年、インド1922年】
サイモン・クズネッツによって、米国の1913年~1948年の合衆国全体の国民所得が推計され、第一次大戦の頃に所得トップ10%の人々は国民所得の45~50%を得ていたのが、1940年代の末には30%から35%にまで低下したという不均衡の低下というデータにより、不平等の低下が明らかにされました。この事実によって、発展が進んだ段階ではより多くの人口が経済成長の果実を受け取っていき、不平等は自然に低下するという楽観論が生み出されました。
しかしこれには戦争や恐慌によって資本が破壊されたこと、また植民地独立によって海外投資が失われたという偶然によるもので、普遍的な法則ではないことは、クズネッツ自身が知っていました。21世紀の最初の10年間において、19世紀末よりも大きな所得の集中が起こっています。このまま進めば、2050年、2100年はトレーダー、経営トップ、スーパーリッチたちに世界が所有されているのでしょうか?それとも産油国や中国銀行にでしょうか?
とにかく、クズネッツらの楽観論によりあまりにも長い間、経済学者は富の分配を無視してきました。
成長が自動的に均整なものになると信じるべき根本的な理由は何もありません。
第一の結論
富の分配の歴史は非常に政治的なものであって、1910年と1950年の間に起こった不均衡の低下は戦争と、戦争ショックに対応しようとした政策の結果である。同様に1980年以降の不均衡の復活は、課税と金融が要因である。
第二の結論
・不平等を減少させるメカニズムとして重要なのは、「知識の伝播と訓練とスキルへの投資」である。
しかし金融資本や不動産に対して人的スキルが勝利することはわずかな楽観論にしかすぎない。
・供給と需要の法則や、資本と労働の流動性という経済法則の影響力は知識の伝播とスキルほど強力ではなく、その結果は明確ではなく逆にもなる。
・不労所得者と労働力しか持たない若者との世代間闘争は、やがて年を取れば貯蓄がふえるという不均衡是正論があっても、可能性も影響力も小さい。
決定的な事実は、知識とスキルの伝播が強力であろうとも、逆方向の不平等へと向かうさらに強い力に妨げられる。成長率が低く資本の収益率が高い時には、富の蓄積と集中が全世界へ発散することである。

【不公平発散への根本的力】
世界の歴史を通じて、経済全体の成長率gより、資本の収益率Rが大きい、
r>g という法則が続いていました。マルクスの無限蓄積と永続的な発散 という時代も含まれます。
両大戦の間のように、r<gと経済成長が資本収益より上回る政策を行うことは可能です。
この無常なる法則に対抗する公的制度や政策は、例えば資本への累進的かつ世界全体での税です。
資本過剰は、人口が減少して成長率の下がる国でもっとも顕著にあらわれ、その例が日本です。第二次大戦後、欧米の水準にキャッチアップする過程ではg>rだったが、80年代に逆転。90年代にはバブル崩壊で成長が止まり、r>gになって企業の貯蓄超過が起こり、賃金が下がりました。

【経済学は他の社会科学から離婚するべきではなかった】
19世紀末と同様、再び現在、自らの労働にて生み出される経済成長(起業することなど)より、労働をせずに得られる資本収益にますます投資が集まり、大企業への加速度的な資本集中と資本分配率の高まりが生じています。格差の広がりはとどまることを知らないという説。その反対に不平等は自然に調和するからこの均衡を無くすような介入は許されないという「目や耳をふさいでいる人」たちもいます。
この本は統計学に裏打ちされた経済学の研究であるのと同じくらい、歴史の研究でもあります。
労働分配率が上がることは二度とない、したがって多くの人々の窮状を防ぐには、過激な再分配を行うことが必要ということがピケティの結論です。

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